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【紀伊路】住吉大社~百舌鳥

 2011年5月14日 / 晴 / 1人 

このルートも延々街歩きが続きますが,古道ゆかりの史跡が多く見られ,熊野古道歩きをしている実感があります。
目印の石柱やプレートも多く,オリエンテーリング気分も味わえます。
全開同様,街中を歩きやすいスニーカーがおススメ。夏は暑さに注意,も同様。

住吉大社で安全祈願

2回目の大阪府内熊野古道歩きは,
前回の終点・住吉大社からスタートです。


歩き始める前に,まず住吉大社にお参りしました

何か行事のある日だったらしく,
結構な人出で賑わっていました。

住吉大社は御祓いの神様として有名ですが,
航海の神様でもあるのだそうです。
昔は,この辺りはもっと海に近かったのでしょうね。
遣唐使の派遣の際に安全祈願をしていたそうですから
本当に古い歴史がありますね。

熊野行幸御一行様も,こちらに立ち寄ったそうです。

海を渡る予定はないですが,
私も今後の熊野詣の安全を祈って旅行安全のお守りを頂きました。

歴史の足跡を感じながら

さて,熊野街道を歩くには,この住吉大社を突っ切って
奥の「楠珺社」を通り抜け,裏門から出ます。

するとすぐに見えてくるのが「住乃江味噌 池田屋本舗」さんの
とても趣のある古い建物。時代劇に出てきそう。
建物自体が国の有形文化財だそうです!
住吉大社参拝の際には必見です。

こちらで道を教えて頂いたのですが,
お店の方も大変親切で,素敵なところでした^^

意気揚々と熊野街道を歩き始めると,
さっそく見えてくるのがおなじみの石柱。


八軒家浜から10キロとあります。
ですが,実際に歩くと,道を外れるところもあるし,
迷ったり,見学したりもするので,
実際には+2~3キロは歩いているかと思います。

この辺りには,道路にこんな埋め込みもあります。


街道自体はいたって普通の住宅街です。
ですがそんな中にも歴史匂いがちらほら。

これは,街道沿いの墨江小学校の庭に建てられている,
「津守廃寺」の説明板。


そしてここは津守王子跡とも言われています。

この道をまっすぐ歩けば順調に熊野街道を進めるわけですが,
気になるところがあったので少しだけ寄り道しました。

止止呂支比売命神社

あべの筋との交差点を左に曲がり,
南海電車の線路を越えて少し歩くと,
左手に神社が見えてきます。

ここは止止呂支比売命(とどろきひめのみこと)神社
(簡単な漢字なのに一字一字変換しないと出ないという…)


こちらには,先程の墨江小学校にあった津守王子が合祀されています。

また,この境内内には後鳥羽天皇が行宮を立てた跡が残されています。

ここで,「後鳥羽天皇って誰だっけ?」「行宮って何?」
という人向けに,簡単な日本史講座

後鳥羽天皇は,1180年生まれ,1239年没の,
源平合戦真っ只中というややこし~い時期に天皇になった人。
しかも天皇即位は1183年,つまり3歳の時だから,
本人に政治的野心とかあったはずもなく,
ややこしい時代の,ややこしいお家事情の中で立てられた天皇です。
1198年,18歳にして天皇を引退(譲位)。
その後は上皇として23年にわたり権力を握ります。
最終的には1221年に承久の乱を起こし討幕を図るも失敗,
隠岐の島に流されそこで生涯を終えました。
そして「行宮」というのは,
何らかの事情で天皇が一時的に宮を置いた場所です。


なんでいつになく日本史の説明をするかというと,
この後鳥羽天皇(上皇)というお方,
非常に熊野詣がお好きだった方で,
なんと上皇在位中に28回も熊野に参詣しているのです。

このうちの1回,1201年の熊野参詣に随行したのが,
『新古今和歌集』の編纂で有名な藤原定家(1162~1241年)。
彼はこの時のことを『明月記』や『御幸記』に
かなり詳しく記しており,
それが当時の熊野詣の貴重な資料になっている

…みたいです。

早い話が,熊野詣と後鳥羽上皇って,
切っても切れないイメージなのです。

さて,この止止呂支比売命神社は,
街中にぽつんと切り取られたようなスペースにあります。
正面(大雑把に東)はあべの筋に面し,
裏側(西)は南海電車の線路に面し,
北側は細い道路で区切られ,南側は住宅街。

鳥居も立派で敷地内にはいくつものお社が配されていますが,
社務所も閉まっていて,がらんとした印象。
地元の方とおぼしき人が,ぽつりぽつりとお参りしておられました。

寂しいような,穏やかなような,不思議な空気。
緑がきれいで,きらきらしてて,
何だか気持ちがよくて,ぼんやり座っていたい気分に。

とはいえ,あまりのんびりする時間もないので,
再び街道歩きに戻ります。


境王子跡から方違神社へ

あべの筋を戻って熊野街道を南下,
遠里小野(おりおの)小学校を越えると川に突き当たります。


この川は大和川。

堤防を右折し,遠里小野橋(写真中央の橋)で左折し,
さらに南を目指します。
ちなみにこの遠里小野橋は,先程寄り道したあべの筋。
車の多いあべの筋を少し歩いて,左折します。
手元の地図がわかりにくく,どこで左折したらいいか
わからなかったので,適当に(笑)

住宅街というより工場・会社の多い土地でした。
すぐに南海高野線の線路が見えます。
線路沿いに右折し,そのまま南下。

少し歩くと住宅が多くなってきて,
やがて浅香山駅が見えてきます。
浅香山駅を越えてすぐの道を左折し踏切を越えます。

踏切を越えるとすぐに道が4つに分かれます。

まっすぐ直進の道。
踏切を背にして左手の,北に延びる道。

右手(南側)には,線路沿いの細い道と
線路沿いの道と直進の道の間の,少し広い道

目的の道はこの少し広い道です。


(※地図は2010年5月14日時点のものです)


上の地図の黄色い矢印が歩行コースです。

その道をまっすぐ歩くと,大きな病院(浅香山病院)があります。
そして駅から15~20分くらいのところに大阪刑務所が見えてきます。
刑務所の標示はさすがに見当たりませんでしたが,
高い壁と広い敷地が見えてくるのでわかります。
この手前の信号を右折します。

右折した道をまっすぐ歩くと,四つ辻の南西角に
小さな公園が見えてきます。
これが王子ヶ飢公園のようです。

その公園の向かい,四つ辻の南東角に
「境王子跡」があります。


まだ新しい,立派な石碑です。
この石碑は熊野本宮大社のある本宮町から寄贈されたものと
説明書きがありました。

その四つ辻を左折(境王子跡に向かってだと右に進む)し,
再び南下。しばらくは静かな住宅街を歩きます。

この辺りはのどかな住宅街でした。
昔からあったような家と,最近建てたような家が混在する,
昔からの住宅地,という感じです。

なぜかふいに,「こんなところに住むのもいいなあ…」
と思ってしまった,和やかな住宅街でした。

さて,まっすぐ歩くと大きな道路に突き当ります。
その道路を越えた向こう側には森が見えます。

その森が,「方違(ほうちがい)神社」でした。


この地は摂津の国・和泉の国・河内の国の3つ国の境にあたり,
「方角のない地」とされ,
こちらにお参りすることで方位の厄を払えると言われる,
方違え,方災除けで有名な神社さまです。

ひっきりなしに人や車が出入りしていました。

この方違神社を通り抜けることもできるし,
神社横の道から行くこともできますが,
私は前々から一度来てみたかったところなので,
お参りも兼ねて中を通らせていただきました。

この方違神社の南には,反正天皇陵と言われる古墳があります。

反正天皇陵を右手に見ながら
方違神社の裏門から出て,古墳沿いに歩きました。

この辺りはちょっと道が細くてわかりづらいです。
堺市には「てくてくロード」というエリアがあり,
タイルが敷かれた歩道が整備されています。


この辺りも「てくてくロード」に入っているので,
歩きやすくて楽しい道ではあるのですが,
どこを通れば一番熊野街道らしい道なのか
(というのは,この辺りは街道ルートが特定されていないもよう)
地図を見てもわかりづらいのです。

地図によるとひたすらまっすぐ歩く感じなのですが,
実際にはまっすぐは歩けなかったりとか^^;

で。

この辺りをうろうろしているとき,
同じようにバックパックで地図をもってうろうろしている
60~70歳くらいの,ロマンスグレーのおじさまを見かけました。

思いがけない道連れさんと仁徳天皇陵へ

私と同じように地図を見ながらうろうろしているおじさま,
私に道を聞いてこられました。

しかし私も同じストレンジャー,
残念なお返事しかできません^^;

おじさまも「やっぱりな~」というようなお顔です。
それもそのはず,私たちが持っていた地図が,
どうも同じ本からコピーしたもののようなのです。

めげずにおじさまは地元の人と思しき方に聞いており,
私はそばで聞き耳を立てていました(笑)

地図に書いてある史跡は向泉寺の「閼伽井跡」なのですが,
かなりマイナーなものらしく,
地元の方も「わからない」とおっしゃいます。

仕方ないから「方向さえ合っていれば大丈夫だろう」と
おじさまは歩き始めました。
私は少しだけ地元の野良猫と遊んでから,歩きました。

足の速いおじさまでしたが,
あっちこっちで人に聞きながら歩いているので,
やがて追いつきました。

そばでちゃっかり一緒に道を聞いている私は,
どう見ても連れだったでしょうね~(笑)

そして結局しばらく一緒に歩くことになりました。
だって方向も目的地も同じですからね^^

おじさまはやはり私と同じく熊野古道徒歩制覇を目指す方で,
なんと朝一の新幹線で横浜からこの日に大阪に到着したのだとか。

そして,私が前回歩いた天満橋から歩き始め,
1日で住吉を越え,堺市まで歩いてこられたそうです。
健脚家さんです!

しかもこの後,熊野本宮大社まで歩く予定だとか

すごいです!先達さんです!!

大体2週間くらいの予定で考えておられるそうで,
このまま和歌山に入り,田辺で奥様と合流し,
中辺路を歩いて本宮を目指すそうです。

梅雨入りしないうちに完歩を目指しておられましたが,
無事に歩き終えられたでしょうか。

これまでに中山道や奥州街道を歩いたそうです。
さすがに歩き慣れた方なので,
お互いマイペースに,自分の見たいところがあれば
「こっち行きます。じゃ!」みたいな感じで別れるのですが,
いかんせん目的地が同じなので,また合流,の繰り返し。

そのまま歩いて陸橋を越え,仁徳天皇陵の横に出ました。

陸橋からの仁徳天皇陵。


さすが世界最大級の墓です。でかい。ていうか,島です。

ちなみに,最近は仁徳天皇陵ではなく大仙陵(だいせんりょう)古墳という呼称となっているそうです。
いろいろ研究が進んで,歴史的定義が変わってきているらしいですが…
私の年代ではむしろ大仙陵古墳と言われてもなんのこっちゃです。

天皇陵の横の案内図。


超シンプルで超わかりやすい

結局この横の道をおじさまとご一緒しました。

おじさまは天皇陵を越えたら右折して阪堺電軌の駅へ,
私は左折してJRの百舌鳥駅へ向かうので,
短い間の道連れでしたが,
思いがけない現代の熊野参拝者との出会いは楽しかったです。

さっぱりした,理知的なおじさまでしたしね^^

おじさまが「やっぱり天皇陵の正面を見ておきたい」と言われるので,
結局正面まで行き,そこで別れました。

この時点で夕方4時頃。

もう少し頑張りたい気持ちもありましたが,
少し体調が良くなく,体が重かったので,
ここは無理をせず一区切りつけることにしました。

古墳周辺の公園で,ベンチに座ってひと休み。

広々として緑がたくさん。
気持ちのよいところです。
ハイキング気分で古道歩きを楽しむなら,
ここでお弁当を広げるのも楽しいと思います。

終始街中をてくてくと,歩きやすいけど思いのほか迷いやすい道でした。
書籍の地図だと大雑把すぎてちょっと厳しいので,
大阪府のサイトの「歴史街道ウォーキングマップ」の地図を
持参することをおススメします。
今回のコースは「東住吉駅から鳳駅まで」に含まれます。


■スタート地へのアクセス
南海電車 南海本線「住吉大社」駅から徒歩3分
       南海高野線「住吉東」駅から徒歩5分
阪堺電気軌道 阪堺線(路面電車)「住吉鳥居前」駅すぐ
■使用地図
『熊野古道を歩く旅(エコ旅ニッポン)』ウエストパブリッシング
『熊野古道を歩く 全33コース(歩く旅シリーズ)』 山と渓谷社
大阪府HP「歴史街道ウォーキングマップ」東住吉駅から鳳駅まで
  
■歩行距離/歩行時間
所要時間:約12.6キロ/約3時間半(携帯アプリによる実測)
■トイレ
駅・コンビニ・寺社など多数
■飲食店等
多種多様にあり。心配無用。